捕鯨

2014年6月27日 (金)

日本がボン条約に批准しない理由

 ボン条約(移動性野生動物の種の保全に関する条約)は、1979年にドイツのボンで採択され、1983年11月に発効した環境条約の一つです。120カ国(2014年5月1日現在)が加盟していますが、日本は批准していません。
 日本がなぜボン条約に批准しないのかが、公式の場で明らかになったのが、2014年6月6日の衆議院環境委員会での質疑でした。日本維新の会の河野正美議員が質問をしました。
 ボン条約の批准について政府の答弁は「慎重に検討している」でした。しかしすでに採択から30年以上がたっています。さらに批准のデメリットを議員が質問したところ、水産庁次長は、小笠原のアオウミガメ漁、海鳥の混獲、商業捕鯨が困難になることを挙げていました。
 そして混獲については、ウミガメ類等は定置網、マグロ延縄漁業で、海鳥等はマグロ延縄漁業で混獲されているが、FAO(国連食糧農業機関 (*1)の措置や地域漁業管理機関(*2)の決定で混獲回避措置をしているとの答弁がありました。
 混獲が生息数減少の原因として対策が検討されているのが、ウミガメやアホウドリなどの海鳥、サメなどです。漁具の技術開発や制度の改善など混獲減少に向けた取り組みが積み重ねられています。
 この衆議院環境委員会での質疑によって、日本のボン条約批准に何が課題なのかが公式な場で明らかになり、批准に向けた取り組みへのきっかけになりました。
 またこの質疑では、3月31日の国際司法裁判所による南極海における第2期南極海鯨類捕獲調査についての訴訟の判決についてもふれています。その中で水産庁から、クジラ類は他の水産資源と同様に重要な食料資源という答弁がありました。この答弁をはじめ一連の答弁を聞いていると、漁業対象種は「資源」で「野生生物減少という環境問題ではない」という考えが、ボン条約を批准しない根源ではないかと思いました。
 人間が利用する生物もしない生物も、海の生態系を構成する生物であり、それが人間によって生息数が減少するのであれば、それは環境問題だと私は考えます。健全な海の生態系が土台にあるから、漁業を含む人間のくらしが成り立つと考えるからです。
 一方、水産庁の書類には「環境保護団体の圧力」という言葉がときどき見つかります。「資源」の確保と環境保護は対立しているという短期的に見た考えなのでしょうか。「資源問題」と考えるか「環境問題」と考えるかは、とくに捕鯨に関しては長く続いている議論です。そして小原秀雄JWCS名誉会長は「クジラは資源ではなく野生動物だ」と主張し続けてきました。
 ボン条約の批准は、利用が大前提の「資源」と、それ以外の、混獲されて「お金にならないから」と捨てられてきた海洋生物に対する見方を、「国際協力で海洋生態系を守る」方向へ転換する意味もあると思います。
 ボン条約やワシントン条約による海洋生物に関する規制は、混獲や水揚げに対する法執行など、陸上生物への対応よりも難しい課題があります。しかしワシントン条約事務局などのプレスリリースを見ていると、ボン条約、ワシントン条約、生物多様性条約などがそれぞれ連携し、FAOやインターポールなど国際機関も交えた会議がたびたび開かれ、その難しい課題をひとつひとつ解決していこうという動きがあります。
 そしてインターネットを使って情報を公開し、NGOに参加を呼びかける動きも強くなってきたように思います。例えば2014年3月にインターポールの環境犯罪部長と日本のNGOとの意見交換会が開かれ、JWCSも招かれました。そして6月25日にはインターポールから環境犯罪についての報告書(*3)が発行されたというお知らせのメールが来ました。
 30年以上も「慎重に検討」してきたボン条約に批准することは、急速に変わりつつある国際社会の動きに一気に追いつくきっかけになるかもしれません。
                                   (鈴木希理恵 JWCS理事)


<参考>
*1)FAO 混獲と破棄についてのウェブサイト(英文)
FAO「混獲管理と破棄低減に関する国際ガイドライン」は2012年に発行されています(英文)」
*2)地域漁業管理機関(RFMOs)
全米熱帯まぐろ類委員会(IATTC)、大西洋まぐろ類保存国際委員会(ICCAT)、インド洋まぐろ類委員会(IOTC)、みなみまぐろ保存委員会(CCSBT)中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)
IUCNは地域漁業管理機関による混獲や破棄の管理について現状を評価した報告書を発行しています。(英文)
 P15の環境犯罪の中身の図がわかりやすいです。例えば違法漁業は年間110~300億米ドル(約1兆1000億~3兆円)の規模になっています。
 

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2013年5月30日 (木)

世界に報道された日本 国土強靭化とペットフードにされるクジラ

国土強靭化で心配される生物多様性への影響


巨大な防潮堤計画による自然環境への影響が、「Yale environment 360」というオピニオンサイトに掲載されていました。
その中で日本政府は持続可能な戦略に転換するチャンスを逃している、と紹介されてます。

絶滅危惧クジラがペットフードに


クジラ肉がペットフードにされていることがAFPにより報道されていました。
日本は海外に向けて「クジラを食べることは日本の伝統」と言い続けていますが、クジラ肉の消費が減っています。一方で調査捕鯨による冷凍クジラ肉が毎年供給されます。
そのような状況の中で、輸入されたアイスランド産のナガスクジラがペットフードにされて売られていました。
Endangered whale used for Japan dog treats
その後、販売していた「みちのくファーム」は販売を中止したそうです。
(参考)
クジラ肉の大量の在庫(報道)
鯨肉の在庫量(水産庁資料)

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2008年10月 3日 (金)

捕鯨問題と水産庁の政策誘導の歴史 森川 純

 2008年6月チリ・サンチャゴで第60回目のIWCの年次総会が開催された。

 今回の会議では、こう着状態を打開するために冷静かつ建設的対話を重視したこと、その結果として恒例となっている捕鯨賛成派と反対派間の激しい投票合戦が事実上回避された、というニュースがメディアを通じて伝えられた。これらの報道は日本政府の姿勢も軟化したかのような印象を与える。

 だが水産官僚(OBと現職)主体の日本政府代表団の言動から判断する限り、日本政府の捕鯨にこだわる姿勢に変化はないと言ってよいであろう。

 それを象徴するのは政策オプションとしてのIWC脱退維持論であり、サンチャゴ会議直前のタンザニアのIWC加盟である。

 日本政府によるアフリカ、カリブ海、南太平洋さらにはアジアの途上国を対象とし、ODAと招待外交を主たる手段とするIWC多数派工作は、2000年以来むしろペースは加速されている。タンザニアの加盟は、その成果の一つであった。

 捕鯨問題の出口を求めての冷静で建設的な議論は、日本国内でも行われる必要があろう。今回はそのための一つの判断材料を提供したい。

 テーマは、1970年代半ばから続く大手・中堅捕鯨会社の商業捕鯨離れと水産庁の強引とも言える政策誘導の歴史である。

 日本水産刊行の社史、電通制作『日本水産の70年』(日本水産株式会社 1981年)に次のような記述がある。「南鯨捕獲枠の減少、鯨種別、海区別の規制の強化、さらに北太平洋捕獲枠の減少にともない、ついに捕鯨3社(「日本水産」、大洋漁業、極洋)による南鯨3船団、北鯨3船団の維持は、採算上も不可能になった。この対策をこうずるため捕鯨6社(前記3社と日東捕鯨、日本捕鯨、北洋捕鯨)の社長間で緊急に話し合いがおこなわれ、水産庁の指導もあって、昭和50年(1975年)7月、母船式捕鯨を統合して新会社を設立、捕鯨業の維持存続をはかることで合意をみたのである」(前掲書197頁)。

 翌年1976216日の日本共同捕鯨株式会社の設立については次のように記す。「この新会社は捕鯨6社を中心に構成され、捕鯨母船3隻、捕鯨船20隻を保有、社長には藤田巌前大日本水産会会長が就任。(注:藤田巌氏は、元水産庁長官)従業員は陸上100名、海上1400余名で発足した」(前掲 198頁)。

 大変興味深いのは、捕鯨の維持の論拠として伝統や鯨食文化ではなく動物性蛋白質の自給が挙げられていたことである。

 それは敗戦直後から戦後復興期にかけて主流であった考え方を再提出するものであったが説得力に欠ける。と言うのは、すでに経済大国となっていた日本にとって海外からの牛・豚・鶏肉や海産物の輸入によって不足分の動物性蛋白質を確保することは極めて容易であったし、実際にもそうしていたからである。

 日本共同捕鯨株式会社の設立披露は76年の4月におこなわれる。出席した安倍晋太郎農相(注:安倍晋三前総理の父 引用者)は、「捕鯨業の灯を絶やさず、食糧確保のためにがんばってほしい。政府としてもできるかぎり積極的に応援をしてゆきたい」と挨拶した」(前掲書 198頁)。

 すでに30年以上前の時点で捕鯨大手・中堅各社は、資源の枯渇や国民の鯨肉離れや商業捕鯨に対する国際的な規制の強化などによって捕鯨業が経営的に成り立たず、将来展望も持ち得ないことを理解していた。

 だが以上の証言は、「採算上不可能な」商業捕鯨の維持が、「水産庁の指導もあって」合意・決定され、実施のための新会社の設立までなされた経緯を明らかにしていて興味深い。

 藤田巌氏の捕鯨戦略に関し、当時の日本捕鯨協会会長の稲垣元宣氏による次のような証言がある。「藤田さんが共同捕鯨の社長をやられていた当時、商業捕鯨をいつまでも続けられないから、将来は捕獲調査の形を考えるべきだといっておられました」(日本鯨類研究所 『日本鯨類研究所十年誌』199710

http://luna.pos.to/whale/jpn-zadan2.html

 大日本水産会や大手捕鯨会社や水産会社などには、水産庁幹部が退職後に大量に天下りして「水産庁一家」的なネットワークが歴史的に形成されてきた。許認可権や予算などを通じた影響力行使もあり捕鯨会社が仮に水産庁の「行政指導」に抵抗しようとしても困難となる状況が存在した。

 水産庁という一つの官僚組織の意向と利益は、1970年代半ばの危機の時代において守られるとともに、やがて巧みな政策誘導によって霞ヶ関や永田町において日本国家の意思と利益まで昇華され国際舞台でも追求され今日に至る。水産庁主導の日本政府代表団がIWC会議において一体、誰のための、何のための利益を主張し、さらにどのような方法でその庁益を追求してきたかについては再検討する意味と価値があろう。

(もりかわ じゅん/JWCS理事・酪農学園大学教授、アデレード大学客員研究員)

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