なんでも鑑定団を見て「サイの角で一攫千金とはうらやましい…」と思う 前に
譲り渡しの違反行為の罰金は、個人で最高500万円、法人では1億円に引き上げられます。
(2010年12月31日時点 IUCNアフリカサイ専門家グループ CoP16-54-02 Rev.1 p.16)
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『ダーウィンが来た!生き物新伝説』
第145回 オオタカ 街で驚きハンティング
2009年4月19日、NHKの『ダーウィンが来た』のオオタカを見ました。地味ながらすばらしい貴重な映像だったのではないかと、素人ながら感じました。水辺でカラスを襲って捕られる姿に魅せられました。と同時に、都市に近いところでヒヨドリを追う姿を見て、このオオタカはどのようなオオタカなのか、判断に迷いました。
私の知るオオタカは、鷹匠が飼育して狩猟に使っていた「家禽オオタカ」と野生世界に住む「野生オオタカ」の二つのタイプのものです。それは、動物園にいる「家畜ゾウ」とアフリカのサバンナに住む「野生ゾウ」に対応するものです。
しかしこのオオタカはそのどちらでもありません。人間世界のなかで生活している動物でありながら、飼育しているわけではありません。家畜でもないし野生生物でもありません。「都市鳥」というのがいますが、これも不思議な存在です。家畜でもなく、野生動物でもありません。人間がつくったフェンスぎりぎりにヒヨドリを追い詰めるオオタカは都市鳥なのでしょうか。都市鳥としても、都市鳥は、家畜でもなく野生でもないとしたら、何なのでしょうか、という疑問が湧きます。
前回取り上げましたアフリカの畑の雑草のスイカを食べるキリンも、同じような存在です。野生のサバンナに住むキリンでもなく、家畜として飼育しているキリンでもありません。もしこうした環境で生活するキリンが現われたことによってキリンの保全が可能だと考えたとしますと、野生のサバンナが開拓され縮小し、サバンナに住むキリンがいなくなっても、キリンは生き残ることになります。それでも生物多様性保全ができていると考えてよいのでしょうか。アフリカの人たちがすることです、多分よい知恵を出して広いサバンナが保全され、そこに住むキリンがいつまでも生存できるようにしてくれることでしょう。
ひるがえってオオタカのことを考えますと、同じように都市のなかで生存可能だから、これまでオオタカが住んでいた森や林の保全は考えなくてもよいという考え方が生まれるとすると、野生のオオタカの生存について不安が出てきます。「代替環境」という言葉が頭に浮かびました。本来の野生の生息環境でなく、人為的につくられた環境でありながら、生物がそこで生きてゆける環境のことです。動物の適応性、生き方の幅の広さに感嘆します。
もともと生物は、野生環境、人為環境の区別などしていません。そこで生きてゆけるかどうかが唯一の判断基準です。それに甘えてはいけないと思うのですが、つくづく人間の知恵と思いの単純さを痛感します。(JWCS副会長 岩田好宏)
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