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2007年10月 3日 (水)

ゾウを守るためにはまずヒトを守る(4)

Mura

 畑荒らしの解決策を見つけて村人が食糧難に面すことなく、農業へのやる気を取り戻し、ゾウを殺したいと思わなくなることが目標ですが、それが実現するまでの間にも村人が少しでもまともな生活ができるよう、私にできることを見つけて取り組んでいます。

 ひとつは薬の販売。村には病院は無く、薬も行商人が通過する際に買えるだけだったため、町で一般的な薬(解熱鎮痛剤、下痢止めなど)を買い、少し利益をのせて販売するかわりに、小児用シロップは無料で子どもたちに飲ませています。

 またキャッサバ芋を乾燥させて粉にしたフフという主食を町で大袋で買い、村で小分けにして売っています。村の商人はフフは利益が出ない、と売りたがらないためです。

 ミエレクカでパン屋も始めました。パン作りを知っている男性が国立公園の番人の仕事を解雇されたため、彼の収入源をつくると同時に村人にもフフ以外に手軽に食べられる食料を提供することになり、たいへん喜ばれています。
 コンゴ人同士に信頼が無いというモラルの問題のため(売上を横領する、つけで買ったら払わないなど)、村人たちがフフ、パン、薬の販売を私自身ですべきだと言うのですが、私がいなくなっても村が沈滞しないよう、まずはゾウのための貧困が改善されるまでがんばりたいと思っています。

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ゾウから畑を守る実験(3)

 村人が銃殺を要望した時点では私には正直言って全く解決策のアイデアがありませんでした。というのも村人の「やる気」がなければどんな有効かもしれない防御策も実現不可能だからです。
 なんとかゾウを殺さずに畑を守る方法を見つけるべく、実際にゾウに荒らされた畑でいろいろな対策の実験に取り組んでいるうちに、10ヶ月近く経ってやっと希望を見出せる方法を見つけました。

 森の藪の中をブルドーザーのように歩くゾウにとっては不快(な臭い)で触れたくない柵が必要だと考え、布を細長く切り裂き、唐辛子をすりつぶして混ぜた交換オイルに浸して杭に結びつけ、畑の周囲を囲むというものです。焚き火や夜警はとても有効なのですが、毎日労働を要すものはこの地域の村人にとって現実的でないのです。
 この方法を確立させるため、2年目の調査では実験用の1haの畑をミエレクカとゴアに開墾しました。これはゾウから作物を守り抜いて、村人に食糧を提供することも狙いとしています。

 というのもかつては農作物については自給自足で、一部は販売して塩、油、石鹸、衣類、薬などの購入にその収入をあてるという農業主体だった村人の生活が、ゾウのために食糧、現金収入を断たれ、小動物の商業ベースの狩猟(往来するブッシュミート商人との売買)主体になってしまったのです。村の農業を復興させることは、村人のゾウへの怒りを抑えるだけでなく、小動物への狩猟圧の軽減のためにも必要と言えます。

 現在は実験用の畑だけでなく、村人の畑にも布と交換オイルを提供して柵を立て、作物を守る協力をしているので、実際に被害の発生した畑、ゾウが近くまで来たという畑の主から、「私の畑も囲って欲しい」と言ってくるようになりました。
 村人自身も自分の古着を提供しています。村人の賠償金への期待は薄れ、畑を守る意欲が出てきて私にはうれしい変化です。

 畑の全周囲を囲っている実験用の畑へは作付け以来8ヶ月ゾウが侵入していません。一方、布を買う予算の制約で一部を囲っているだけの村人の畑は、ゾウが柵を避けて侵入することがありますが、だいたい6~7割ぐらいの確率で畑を守れています。今はさらに布を購入するための資金を探そうとしているところです。

 以上のミエレクカ村、ゴア村での実験・活動を半年遅れてコモ村でも始めるにあたり、ゾウ保護基金から助成金をいただくことになりました。
 コモ村はミエレクカから西へ15km離れた人口約300名の村です。かつてはゴリラによるプランタンバナナの被害だけでしたが、昨年からゾウも荒らし始めたため、私にコモ村でも畑を開いてくれ、と要望があったのです。

Hatake

 村長はじめ村人と話し合い、あえてゾウが来やすい場所を選んでもらい、今年初めから村人を雇って1haの畑を開墾し始め、5月にトウモロコシ、キャッサバ芋、プランタンの植え付けを終えました。トウモロコシはすでに実をつけ、生でも食べますが乾燥してから収穫したものを地酒の材料にする需要が高いため、まだ収穫していません。無事ゾウから1年間畑を守りぬいた暁には、村人の協同組合が収穫物を管理することになっています。最近ゾウがすぐ近くまで来ているという知らせがあったため、急いで交換オイルの柵で畑を囲ったところです。

 この交換オイルの臭いは半年以上持続しますが、定期的に柵の周囲を除草してメンテナンスする必要があります。また臭いが弱くなった場合は再びオイルと唐辛子に浸して張り直すことになります。

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ゾウの畑荒らしに困った村人たちは・・・(2)

 ゾウの畑荒らしに困った村人たちは、パパゾウを殺すべきだ、1頭殺せば家族も他のグループも逃げる、というのです。
 この村人の「パパゾウ」の認識には興味深いものがあります。ある研究者の中央アフリカのバイ(湿地帯)でのマルミミゾウの観察では、マルミミゾウのグループ構成もサバンナゾウと同じく、オスは単独または少数、メスはメスリーダー率いるグループ、というものでした。
 
 ところが村人の認識では、まずオスゾウが1頭で畑を調べにやってきて、その後家族を連れてくる、というのです。畑荒らしはだいたい夜に発生するので、畑に残されたゾウの痕跡からグループの規模を推測するしかありません。
 初めの1頭の足跡が非常に大きいと巨大なオスゾウと思えるのが実は体の大きなメスリーダーかもしれませんし、あるいは1頭で行動しているオスがメスグループに食べ物のありかを知らせることもあるかもしれない、とエコガード(パトロール隊員)は言います。

 さてパパゾウを殺したいという村人の希望が実行に移されないのは国立公園とエコガードの存在が抑止力となっているためです。しかし2005年から06年はじめにかけて被害があまりにもエスカレートしたため(ひとつの畑で200本以上のバナナの木が壊されたり、キャッサバ芋が8割近く掘り出されたり)、06年3月に近隣の村々合同で村人は国立公園当局に声明文を渡し、正式にゾウの銃殺を要望しました。さもなくば国立公園の存在を拒否し、我々は殺したいだけゾウを殺す、という覚悟なのです。

 その後もゾウによる作物被害はますます悪化し、今までゾウが来ていなかった地域、新しく開いた畑まで荒らされるようになり、7月ごろついに政府が公式に2頭のゾウの銃殺を許可するという知らせが来ました。

 これは2007年6月現在まだ実施されておらず、当局と村人の関係は非常に複雑化しています。政府の対応の遅れに村人が国立公園事務所を封鎖するという強行手段に出たためパトロールが行われず、村近辺でゾウが密猟されたり、賠償金の一部が支払われたものの実被害に対してとても少額だったため、村人には常に不満が残っています。Kaigi


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アフリカのコンゴ共和国のゾウの畑荒らし(1)

 アフリカ中部コンゴ共和国オザラ国立公園の北部でゾウの畑荒らし問題の調査をしています。
 国立公園北部の境界線上にあるミエレクカ村を中心に調査を続けています。今年からミエレクカ村から15km離れたコモ村でも、ゾウと村人の共存のためのプロジェクトを始めました。

 オザラ国立公園が2001年に北部まで拡大されて以来、ふたつの地方都市を結ぶ幹線道路沿い(国立公園の境界線)に点在する村々で野生生物による農作物被害が発生するようになりました。

 調査1年目は国立公園の拠点があり私が滞在しているミエレクカ村と、西へ9km離れたゴア村(人口各約200~300名)で被害発生の状況を調べつつ、村人が実践している防御対策の有効性を調べました。

 ミエレクカ、ゴアはプランタン・バナナ(蒸かすと芋のようになる甘くないバナナ)がよく育つ土壌で、第一の主食はプランタン、次いでキャッサバ芋です。混作でトウモロコシ、キャッサバ芋を先に収穫し、プランタンの収穫まで1年半から2年は実をつけるまで放置したまま、というスタイルです。

 コンゴの熱帯林は乾季でも朝露が畑を潤し、雨季は雨と日照りで、草刈をしなければあっというまに雑草も2mを超えてしまいます。このうっそうとした「森」と化した畑にゾウがプランタンを食べにやってくるのです。被害調査に行っても、畑の中を歩くのは容易でなく、面積を測ろうにもどこからどこまでが畑なのかは畑主にしかわからず、森との境界も直線ではありません。

 ジンバブエの畑荒らし問題の専門家は畑を見通しがきくようにすることがゾウを警戒させるため第一だと指摘していますが、村人の反応は草刈をしたってやってくる、というばかりです。畑で焚き火をするのもゾウを寄せ付けない最も一般的な方法ですが、したって来る、ゾウが恐くて夜は行けない、などといって畑を実際に守っている村人はごく少数でした。

Zouhatake

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トキの野生復帰  羽山 伸一

 1981年、新潟県佐渡に生き残った5羽のトキがロケット・ネットで捕獲され、日本の野生個体群は絶滅した。しかし、飼育下繁殖の試みは失敗し、1995年に飼育下個体群も絶滅する。

 その後、中国の個体を佐渡トキ保護センターに導入し、1999年にようやく飼育下繁殖に成功した。そして来年、27年ぶりに日本の空をトキが舞うことになりそうだ。

 絶滅した地域に新たな野生個体群を創設する試みは、再導入と呼ばれる。わが国における大型野生動物の再導入は、2005年に放鳥されたコウノトリが最初で、トキは二つめの経験となる。一方、再導入は欧米を中心に30年以上前から試みられており、その多くの経験にわれわれは学ぶべきであると思われる。

 この観点から、ここではトキの再導入に関わる問題点を2つ挙げておこう。1つは、飼育下個体群のあり方である。今年、ついに佐渡トキ保護センターで飼育されている個体数が100羽を越えた。一方で数が増えるにつれて遺伝的多様性は失われてきた。飼育下個体群の元になる個体をファウンダーと呼ぶが、遺伝的多様性が失われる理由は、日本の個体群がわずか3羽(オス1、メス2)のファウンダーで創出されたからだ。つまり、すべての繁殖個体は、1羽の父親から遺伝子を継いでいるにすぎない。ようやく、今年、中国から2羽のあらたなファウンダーがやってくるが、この段階での放鳥は拙速の感が否めない。

 また、これら日本の飼育個体は、すべて佐渡の施設でのみ収容されている。感染症などのリスクを考えれば、一刻も早く他の施設への分散を行なうべきである。

 2つ目の問題は、マスタープランの欠如である。再導入事業は、生息地保全や地域産業との調和など、総合的な政策として実行される必要があるため、多くの先行事例では詳細なマスタープランや行動計画を策定している。しかし、トキの場合には多様な主体の活動をまとめあげる指針もない(少なくとも公開はされていない)。

 もちろん、再導入では、放鳥してみなければわからないことが多い。むしろ放鳥個体から人間が学びながら生息環境を復元する作業が再導入事業とも言える。しかし、放たれる動物の立場からすれば、もう少し準備してからでも遅くないのではないか。

(はやま しんいち/日本獣医生命科学大学准教授)
会報『JWCS通信』No.50 2007年Vol.2 掲載

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温暖化防止の道筋は? 廣井 敏男

 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、この5月までに3つの作業部会の報告書をまとめた。それによると

1)化石燃料に依存して高度成長路線をとり続けていくと、今世紀末に平均気温は20世紀末比で最大4℃上昇する。

2)温暖化の影響は現在でも出ているが、1990年比2-3℃の上昇で、世界各地で悪影響が出る可能性がある。
などという。

 6月はじめにドイツのハイリゲンダムで開かれた主要国首脳会議(G8サミット)の主要なテーマは、地球温暖化にどう対処するかであった。とすれば、ほとんど直前にまとめられたIPCC作業部会の報告書の内容がたとえわずかであっても議論に反映されたのではと考えたくなる。が、そんな場面はなかったようだ。議論されたのはEU提出の案、米案そして日本の案であった。

 EU案は 1)2050年までに1990年比でCO2排出量を50%削減する 2)それを拘束力のある義務的目標をもつ議定書の方式によってすすめる という積極的なものであった。ここで1)の論拠としたのは、こうしてはじめて森林や海が吸収する分と人間活動によって発生する分とがつり合うということである。

 対して米案は 1)CO2排出量の削減はそれぞれの国の自発的努力に委ね 2)数値目標も決めないという、いたって消極的なものであった。そしてEUと米国の仲を取り持とうと志してサミットに臨んだ日本の首相の提案は、2050年までに現状比50%削減をうたうが義務化せず、各国の事情を配慮した多様性のあるものとするもので、
最終的にはサミットでは
 1)削減の義務化をうたわない 
 2)50%削減を真剣に検討する   ということが合意された。

 温暖化防止は一刻の猶予も許されないのに、その道筋すら明確に示されないままに終わったG8サミットであった。一部の大国の国益が「人類益」を押しのけた形となったというべきか。

(ひろい としお/東京経済大学名誉教授)
会報『JWCS通信』No.50 2007年Vol.2 掲載

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外来生物対策の問題点があらわに  羽山 伸一

 昨年(2006年)の年の瀬、麻布大学・宇根助教授がわが国におけるカエルツボカビ症初症例を確認したとの第1報を自宅で受け、背筋が寒くなるのを覚えた。カエルツボカビ症が両生類における過去、最悪の感染症と言われているからだ。

 その理由は、両生類に属する多くの種がこの病原体に感受性を有し(少なくとも93種の両生類に感染する)、しかもこの病原体の感染性が高く致死的である(単独でカエルを死に至らしめる)ことがあげられる。

 じつは、昨年の夏ごろから国際的な対策の動きが急ピッチで始まっているため、日本でも専門家を集めた対策会議を年明けに開こうと準備をしていたところだった。しかし、見つかってしまった以上、一刻も早く事態の深刻さを世論に伝える必要があった。そこで、対策会議へ参加を予定していた専門機関や団体の共同署名による「カエルツボカビ症侵入緊急事態宣言」を正月返上で作業を行い、1月13日に記者発表することができた。

 そもそもこのカエルツボカビ(Batrachochytrium dendrobatidis)は、2000年にIUCN(国際自然保護連合)SSC(種の保存委員会)が公表した「世界の侵略的外来種ワースト100」にもリストアップされ、近年の急激な両生類の衰退要因として注目されていた。わが国では、世界で最も厳しい法律のひとつと言われる外来生物法がその後施行され、カエルツボカビも規制の対象にすべきであった。しかし、この法律の基本指針では、肉眼で区別のつかない外来生物は指定できないこととされているのだ。

 また、両生類は動物愛護管理法の対象動物から除外されているために、取り扱い業者は自由にその売買が可能だ。つまり、両生類の販売実態はまったく把握できないのが現状なのである。これでは感染ルートの解明や対策は困難である。

 カエルツボカビ症の国内侵入が確認されたことによって、わが国の外来生物対策の構造的な問題が改めて浮かび上がってきたといえよう。

(はやま しんいち/JWCS理事・日本獣医生命科学大学准教授) 
会報No.49 2007 Vol.1 『JWCS通信』掲載

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水鳥の減少の喜ばしいケースも   安藤元一

 鳥取県と島根県にまたがる中海は2005年にラムサール条約湿地に登録された。同地の米子水鳥公園は干拓地の一部を利用して1995年に開設され、1,000羽以上のコハクチョウが越冬する集団越冬南限地として知られてきた。しかし登録と時を同じくして公園内のコハクチョウが減り始めた。この年は北日本の大雪の影響で、山陰地方には昨シーズンより約2割増の約3,000羽が飛来して水鳥公園でも最高800羽まで増えたが、年末から急激に減少して数十羽に減ってしまった。

 原因は公園から5キロほど離れた島根県安来市の水田約6ヘクタールに水が張られたことである。ここはもともとコハクチョウが昼間に落ち穂を食べに行く餌場であったが、湛水によって水鳥が安心して夜を過ごせるねぐらになったとみられ、水田だけで最高約1,300羽が越冬した。冬期湛水は無農薬農法の一環として地元の営農組合が3年ほど前から取り組んでいるもので、除草剤を使用しないため、冬期から水田に水を入れて雑草の繁殖を防いでいる。当初は水を張る水田が広く分散していたが、作業効率を高めるために一カ所に集中させたことがコハクチョウを呼び寄せたらしい。こうした水田には田植え後に安来節で有名なドジョウの養殖も予定されている。安来市側にとっては無農薬米作りとドジョウの復活、それにコハクチョウが加わって喜ばしい事態であるが、水鳥のいない水鳥公園にとっては存続に関わる問題である。

 石川県加賀市にある登録面積10haの日本最小の条約湿地、片野鴨池でも似た状況がおきている。同池は網を投げ上げて飛来するカモ類を捕獲する坂網猟という伝統的猟法が江戸時代から続けられていることで知られており、片野鴨池観察館が保全の核となっている。この池は1970年代までは1万羽を越えるトモエガモが越冬していたが、現在は600-1,000羽に減っている。主要因は東アジア全体における急速な減少であるが、地域限定の要因として、カモ類が同池周辺に分散していることがあげられる。すなわち、かつてはカモ類が安全に過ごせる場所は同池しかなかったのに、現在では禁猟化によって周辺にカモ類が安全に生息できる場所が増えているからである。

 これらの湿地では水鳥にとって望ましい状況が生じたわけだが、それは啓発活動の場や伝統文化の消失につながっている。干潟の場合に典型的にみられるように、湿地はもともと遷ろいゆく生態系である。その管理も順応的であることが求められる。

(あんどう もとかず/JWCS理事・東京農業大学准教授)
会報No.49 2007 Vol.1 『JWCS通信』掲載

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ヨウスコウカワイルカの絶滅   小原 秀雄

 亡くなられた神谷敏郎氏(注1)が心配していた通り、地球の歴史と関わりがあるアジアと南米にすむ古代カワイルカの一種、ヨウスコウカワイルカが絶滅したらしい(別記)。

 地球上から野生動物がまた1種消えた。2006年の11月から12月にかけて、棲息している中国の長江を延べ3500km調査を行なったが、1頭も発見されなかったという。

 中国の科学者は、この種についての調査を長い間続けてきた。1985年から86年には鯨類学者の粕谷俊雄氏によると、分布しているとみられた地域全てカバーしたと思われる1512kmを調べた。そのときのは243頭を推定数とみなされた。より古い記録では1916年の発見当時、季節移動をして春遅くの交尾繁殖のため小川へ行くとされている。冬季には見やすくふつう3~4頭、時には10~12頭に群れが見られ、スイギュウの子のような声を出すとされている。94年から3年間には10頭未満、97年には13頭、99年5頭、そして04年には1頭の目撃と報告されていた。しかし今回はついに見つからなかった。つまり刻一刻と絶滅への時を刻んでいったのであろう。目撃については、水質汚染もあって、発見が難しいのだとの説もあったが、まず絶滅は間違いあるまい。

 最高年令の記録に粕谷氏によると24才というから、生き残りはいるかもしれないが、これだけ少なくなると出会いや繁殖は難しくなる。飼育も難しく飼育下では長生きせず失敗例がある。

 餌はさまざまな魚であり、ナマズを食べていた個体が知られている。妊娠期間10~11ヶ月、3年ほどで性成熟するらしい。雌の方が大きく、歯からは原始的とみられ、目は小さく退化傾向があり、青灰色の背で腹は白い。中国では「長江の女神」といわれ直接に捕殺はまれだが、食物の魚などを人間が濫獲し、その他交通の激増による事故、水質汚染などが絶滅の原因とされる。

(注1)2004年7月永眠。著書に『川に生きるイルカたち』東京大学出版2004 など

(別記)カワイルカ類は原始的なイルカで淡水に棲息。南米に2種(ラプラタカワイルカ、アマゾンカワイルカ)、アジア南部に2種(ガンジスカワイルカ、インダスカワイルカ)が、ヨウスコウカワイルカの他に現存する。大陸の移動とカワイルカの分布が関係あるとみられる。

(おばら ひでお/JWCS会長・女子栄養大学名誉教授)
会報No.48 2006 Vol.4 掲載

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オオタカの準絶滅危惧種への移行について  廣井 敏男

 オオタカは「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」(以下「種の保存法」という)で国内希少野生動植物に指定された動物である。この法律でいう野生希少種とは、種の存続に支障を来たすほどに個体数が少なかったり、あるいは減少が著しかったり、または主要な生息地が消滅して絶滅が危惧されるようなものを指している。レッドデータブックでは、オオタカは絶滅危惧Ⅱ類にカテゴライズされている。

 したがって、開発が計画されている区域でオオタカの生息が確認されれば、当然のことながらそれに影響のないような対応がなされなければならない。環境庁(現・環境省)はそのための手引きとして「猛禽類保護の進め方」をまとめている。これによるとオオタカの場合、営巣地、給餌物の解体場所、ねぐら、監視のためのとまり場所、巣外育雛期に幼鳥が利用する場所を含む広義の営巣地としての営巣中心域においては、建造物や施設の建設、道路の建設、森林の開発などは避けるべきとしている。そればかりか繁殖期に頻繁に利用する高利用域においても、繁殖に支障を及ぼすような行為には配慮が必要としている。このようにオオタカの保護には配慮が払われてきたのである。

 しかるにこのたび環境省はオオタカを絶滅危惧Ⅱ類から準絶滅危惧に移行することを決定した。現時点では絶滅の危機は少ないとしたわけである。つまりはこれまでのような入念な保護を講じなくてもよいということである。ゆくゆくはレッドデータブックから削除し、種の保存法の希少種の指定をもはずす可能性すらある。
 このような措置をとった理由に環境省はオオタカの個体数が増加してきていることをあげている。果たしてそうか。近年、オオタカへの人々の関心が高くなり、このため目撃情報はふえてきているが、これがそのまま個体数の増加――準危惧種への移行が差支えないほどの――につながるのかどうか検証の必要があろう。もう少し慎重でありたいものである。

 この背景に、オオタカの生息で開発計画を変更せざるを得なかった開発業者とそれらの立場を代弁する開発官庁からの環境省への何らかの働きかけはなかったのだろうか。もしそれがあっての変更だとすれば環境行政に禍根を残すことになり残念なことである。

(ひろい としお/JWCS理事・東京経済大学名誉教授)
会報No.48 2006 Vol.4 掲載

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「エコツーリズム」に想う  川那部 浩哉

 流行語の中には、僅かながら私自身も関係したものがある。「生物多様性」は今やどこでも使われているが、「略さずに<生物学的多様性(biological diversity)>とすべきだ」とか、いや、「岸由二さんの一時提唱していた<生命の賑わい>が相応しい」とか、何度も言ったり書いたりはしてきたものの、この語を流行させた責任の一端は免れ得まい。

 「地球共生系」は、まぎれもなく私どもが作った用語で、多対多関係の共進化の歴史性を強調したものだったが、あらゆるところで「共生」が語られると、「違う」「違う」と叫びたくなる。これに対して、私どもには全く責任はないが、一時期は「面白い」と考えたものの、実情を知り始めると「ちょっと待って欲しい」と思うような用語もある。「エコツーリズム」はその一つだ。急いで付け加える、「エコツーリズムは全面的におかしい」と言う意味ではなく、「おかしいと思えるものにかなり出くわす」ということだ。

 この語の定義は、「ある地域において、環境や生活を破壊せず、可能な限りそれへの影響を最少限に抑えながら、その場所の自然や文化に触れ、またはそれを学ぶことを標榜する旅行のこと」だ。「見聞するだけではなく、参加者の環境問題への関心を高め、さらには、自然へのつきあいかたや暮らしのありようの現状を反省し、自然や文化の保護への貢献を考えるような、新しい出発を模索すること」が、その目的に含まれることもある。すなわち、「ツーリズムが全世界的かつ産業的に著しく拡大し、その結果、壊れ易い生態系や地域の文化に甚大な影響を与え始めてきた」ことを反省し、それに対する違った選択肢として本来考えられ、提唱されたもの。日本自然保護協会は1994年にガイドラインを作成し、日本の環境省は、2002年が「国際エコツーリズム年」に指定されたのを契機に、翌年「エコツーリズム推進会議」を設置し、エコツーリズム憲章の制定、総覧の公開、大賞の選定、推進マニュアルの作成、モデル事業の選定・実施、を進めている。

 エコツーリズムはもともとは、「原始自然」あるいは「未開発地」、少なくとも比較的攪乱ないし荒廃させられていない自然地域を対象にして、行われることが多かった。しかし、近年は里山など、人間と自然とのあいだに長期間にわたる歴史的交流のあった場所へのものも、含められるようになっている。但し、東京・ニューヨークなどへはもとよりのこと、京都・パリなどへも、エコツーリズムと意識してなされる旅行例はほとんどない。こう言うと、かなり皮肉に聞こえるだろうか。

 私が大いに気にしているのは、この名のもとに行われている事例の中に、不注意に自然や文化に大きい影響を与えてしまうもののあるのはもちろん、新しく森を切り開いて宿泊施設を作ったり、そこで営まれている文化を「見せもの」同然に扱うなど、いっそう深刻な問題を生じているものも、すでに数多いからである。「テントに泊まり、川の水で体を洗うのでは、客に嫌われる」と、原生林にホテルを建て、湯水をふんだんに使わせ、周りの樹を燃料にし、あまつさえヘリコプター基地を作った例も、「南」の国だけではなく、「北」の国にもかなり見る。

 「理想と現実とは違うという。判りきったことである。それがどうしたのか。それだから、理想のほうを引込めなくてはならぬ理由は毫末もない。逆に、それだから、ますます理想を立てなくてはならぬではないか。理想はいつも人間の可能な生活のほうにある。」昔読んだIさんの文章を、久しぶりに思い出した。

(かわなべ ひろや/JWCS理事・琵琶湖博物館館長)
会報No.47 2006 Vol.3 掲載

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